本とモノ・コト・ヒトリゴト ☆ アラフォー仙人のんびり日記

☆ ほのぼの図書館 ☆ 住人 カジユアの日記です。本を読んでふと思い立つアレコレ。そんな瞬間が好きです。

詩人・石原吉郎 ― 失語を超えた言葉の恩恵 ―

「お気に入りの本は……うーん??石原吉郎の詩集かな。小説よりも詩が好きで、日本の詩人の中では石原吉郎が好き。この中で何を持って逃げるかっていったら、これでしょうね」

 

この言葉、誰の言葉だと思いますか。

 

意外にも、翻訳家・金原瑞人さんの言葉です。

(『本棚』 ヒヨコ舎・編 アスペクト から引用

※著名人の本棚を写真と本人語りで紹介する本)

 

海外YA文学の翻訳などに携わる金原さん。所有する多数の本の中で、「持って逃げる」状況下で持ち出したい本が、詩集…。その作者が石原吉郎とは、どういうことなのでしょう。折しも私自身、石原吉郎に興味を持ち始めたころに、偶然、自宅書架で出会った文章だったので衝撃的でした(『本棚』という本を買った当初は、石原吉郎を知らなかったので、読み飛ばしていたのですね)。

 

では、詩人・石原吉郎とは、どんな人なのでしょう。

 

彼はまず、シベリア抑留経験のある詩人として有名です。

 

1915(大正4)年11月11日、静岡県生まれ。幼少時に母死去。東京外国語学校卒。大阪ガス入社後に神学校入学を決意し準備中に召集(24歳)。ハルビンに配属され、日本敗戦とともにソ連軍により留置・移送・収容(30歳~)。34歳の時に重労働二十五年の判決を受け、抑留時代で最悪と言える日々を生き抜き、1953(昭和28)年、スターリン死去による特赦で帰国(38歳)。その後、これらの体験が色濃く表れた詩やエッセイを数多く残した。41歳で結婚、62歳没。

 

では、彼が残した作品を見てみましょう。

なんといってもその魅力は、美しさです。

詩の言葉とリズムと象意。

「名」や「語」というものの神秘を思わずにはいられません。

 

 

辞書をひるがえす風

 

風がながれるのは

輪郭をのぞむからだ

風がとどまるのは

輪郭がささえたからだ

ながれつつ水を名づけ

ながれつつ

みどりを名づけ

風はとだえて

名称をおろす

ある日は風に名づけられて

ひとつの海が

空をわたる

この日は 風に

すこやかにふせがれて

ユーカリはその

みどりを遂げよ

 

 

「この命名の発想のみなもとにあるのは姓名である。私は姓名において名づけられ、生きついで来た。姓名はしばしば私自身より重い。私にそのことを教えたのは戦争である。戦争は人間がまったく無名の存在をとなるところでありながら、おそらくは生涯で最も重くその姓名を呼ばれる場所である。(略)そして私が呼ばれるのは、しばしば風のなかであり、風が儀式のイメージへときに結び付くのはそのためである。」

 

石原吉郎『断念の海から』より 詩もこのエッセイに収録

※『石原吉郎セレクション』柴崎聰・編 岩波現代文庫 参照

 

抑留体験や帰国後の辛苦が、作者の内面で沈黙とともに抑圧され、熟れて固着し、わずかな隙間から軽やかな風の詩が湧き出るようにしてそこにあるという感じでしょうか。彼の詩は、体験後にすぐさまなされるべき「告発」というものでは、到達できない場所に存在している。もちろん、告発する人たちからの学びや恩恵も大きいですが、長期の失語や沈黙の後に激しく湧出する詩的言語というものも、言葉の世界にはあるのでしょう。体験者の個々の性質の違いも、表現の仕方の違いに現れるのです。

 

石原は言います。言いたいことを表す手段として散文があるのに対し、詩というのは書くまいとする衝動から湧き上がるものだと。したがって、彼にとって詩作とは、「いわなければよかった」という思いに絶えずつきまとわれる作業らしい。しかし、それでも「不用意」に詩を書く理由は、その不用意に対する安堵や信頼があるのではないか、とも述べています(石原吉郎『海を流れる川』より)。この信頼の源は、語の神秘に対する感受性ではないでしょうか。

 

作品から溢れ出るポエジーの中に、そこはかとなく流れる確かな証言。人間の心のありようと、真実。わたしたちは、石原の著作の中で受け継ぐことができるのです。

 

それは、ひとつの恩恵であり、新たな辛苦を抱える現代人を支える何かであるように思えます。単純に、救いとか癒しという言葉で語れるものではありません。しかし、「今こそ石原吉郎を」という呼び声が、ほんの少し出始めている理由は、この辺りにあるのかもしれませんね。

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