本とモノ・コト・ヒトリゴト ☆ アラフォー仙人のんびり日記

☆ ほのぼの図書館 ☆ 住人 カジユアの日記です。本を読んでふと思い立つアレコレ。そんな瞬間が好きです。

朗読師匠からのお題 「空」

どうも。

ほのぼの図書館の

カジユアです。

 

今月に行われる

朗読茶話会。

お題は「空」…

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とのことで。

 

思い浮かんだのが

ルノルマンカードの

「雲」。

暗雲と、かすかな光。

 

「星」「月」「太陽」もあるのに

なぜか「雲」。

 

てことで、

中也の詩を思い出して

文庫本を手に取る。

 

 

 

 ある朝 僕は 空の 中に、

黒い 旗が はためくのを 見た。

 はたはた それは はためいていて ゐたが、

音は きこえぬ 高きが ゆゑに。

 

 手繰り 下ろさうと 僕は したが、

網も なければ それも 叶はず、

 旗は はたはた はためく ばかり、

空の 奥處に 舞ひ入る 如く。

 

 かかる 朝を 少年の 日も、

累々 見たりと 僕は 憶ふ。

 

         中原中也 「曇天」 より

 

この詩は、カジユア「ほのぼの図書館」所蔵の

『残響』というタイトルの文庫本の中にありました。

作家・町田康さんが中也の詩に言葉を寄せる、という

スタイルで編まれた本です。

 

その言葉は、散文でもあり、詩でもあり

叫びでもあり、つぶやきでもあり…。

つまり、賛辞ですね。

 

カジユアには、町田節は難解ですが

結構好きです。

小説なら『夫婦茶碗』『生の肯定』

ですかねー。

 

魂つかまれて

やさしさ見せられる

という感じ。

細部の細部まで過剰に感受して

死の淵にある魂が再生したりしてね。

 

話がそれた☺

 

この『曇天』に寄せた言葉も面白い。

彼は言う。

※ざっくり意訳してみる(正しい町田節は、ぜひ 『残響』講談社 で)。

 

   ******

大抵の人はこういうの、何かの象徴として考えるのだろうけど、

俺は違うんだよ。実体として見えるの。でなければ詩人ではない。

こんなもの、子どもの頃に見ちゃうとキツいわな。正直、地獄。

目をそらそうとしても、見えてしまう。それはね、実はね、

僕自身でもある。僕自身でもあるんだよ。

   ******

 

という主旨。

正しくは「頭の中にラーメン」とかいう表現

などを用いています。

なんか、強気から弱気へ

ガクンと落ちる感じ。

ウケます。

 

それにしても、

子どもの頃の詩的衝撃体験って、

あるよっていう人にはあると思う。

カジユアもある。

幸い、すごく明るかった。

朝の光だったからね。葉とか道路とか、自転車とかが脇役で。

あとは、海水面のゆらぎとか。

だいたい、そのときの雰囲気がその人の

人生の雰囲気を決めるのではないかな。

 

といっても、

この作品のような

薄暗く、

心もとない情緒も

実体として

多分に感受できる。

 

その原点というのもやはり、幼いころの

詩的体験ではないかと思うのです。

象徴程度のハナシではないのですよ。

 

さて、朗読練習しておくか。

 

別のにするか?

 

今日もうろうろ。カジカジ。