本とモノ・コト・ヒトリゴト ☆ アラフォー仙人のんびり日記

☆ ほのぼの図書館 ☆ 住人 カジユアの日記です。本を読んでふと思い立つアレコレ。そんな瞬間が好きです。

朗読会  空を見上げることは、誰かを想うこと

どうも。

ほのぼの図書館の

カジユアです。

 

秋晴れの今日、朗読会でした。

テーマは『空』。

みなさん、持ち寄られた本が

どれも素敵で、息をのみました。

 

空に関する

不思議な体験も

聞くことができて

心に残りました。

 

大切な人が空へ行ったとき、

人は空を見上げるようですね。

そしてそこに、

何か見えるようです。

 

カジユアは、以前より家にいる時間が

長くなり、空を見上げることが増えました。

 

窓から見える

田園風景や家々、海、そして空。

掃除中、読書中、庭いじり中…

空を見上げることができるのは

なんて素敵なのでしょう。

みなさんのお話を聞き、

あらためて感じました。

 

朗読は…💦失敗しました"(-""-)"

無難に児童文学をチョイス。

練習もせずに挑むなんて

本当にだめですね。

なんか最近、フワフワしてたのか。

 

家にいる時はせかせかせず、

ぼーっとしすぎていた。反省。

 

中也の詩か、まどさんの詩も

読めばよかったかな。

 

中学生たちが創作した

絵本『みあれ祭の日に』も

読もうかな~なんて思案しつつ。

いやー、これは空でなくて海か?なんてね。

 

胸に去来するアレコレを傍観し、

ぼけーっとしてたのかもしれない。

しかし、

迷えることも

幸福です📚

 

次回は、素敵な喫茶店

貸し切りにしていただき

朗読会をします。

経営者の方がとても優しく、

いつも感激しています。

一緒に朗読できたらいいな。

楽しみ♪

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ニャンコ。

…。

いや、

テーマは『犬』!です(^_-)-☆

 

文字の不思議✎

どうも。

ほのぼの図書館の

カジユアです。

 

今日は、

年長さんのお習字サポートの日でした。

 

最初は文字というものの把握を

正確にはできないけれど

書いているうちに

いつの日か、自在に

気持ちを表し、伝える道具になる。

 

自分の名前が

ひらがなで書ける頃

子どもは

自我のかけらを手にして

はばたきはじめるのですね。

 

愛情によって名づけられた自己。

文字は、それを支える魔法です。

 

月の砂漠を♪

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どうも。

ほのぼの図書館オーナー

カジユアです。

 

ほのぼの図書館らしい小説をご紹介。

 

『月の砂漠をさばさばと』 北村薫 新潮文庫

 

母と娘の日常を切り取った、12の短編集です。

互いに見守り、見守られる中で

ふと訪れる喜びと哀しみ。

その背景に流れる季節のようすも

巧みに、丹念に描写されています。

 

ただほのぼのしているだけではなく、

心に小さな波を起こしてくれる点が魅力。

ほのぼの感に安心していたら、ふいに

目頭にじわりときてしまい…。

 

9歳の女の子の無邪気な日常の中に

そこはかとなく流れていた寂寞が

ある時、噴出する。

 

例えば「猫が飼いたい」のラストシーン。

そこに向かうまで

じわじわと焦燥感がつのります。

 

直接、母に向かうわけではなく

9歳なりの無自覚的で必死な言動。

その切なさ。

乾燥した風が肌寒く、木々や雑草、土の匂いが

いたいたしく心に染みてきます。

 

だけど、この子はきっと自然に自立するだろうな。

豆料理の下ごしらえをしたり

食事の配膳をしたり

失敗しながらも

自分のことは自分でするように

過ごしている様子。

 

育児の目的は最終的には子供の自立のはずなのですが

カジユアはつい、何でもやってあげてしまいます。

少しずつ、何でもできるように

声掛けと見守りが大切なのかな。

 

丁寧に暮らす中で

一緒に生活上の作業をして

互いの心を育んでいく。

忘れがちな姿勢に

気付かされます。

 

 

          *****

 

夏になると、地にはお豆が実り、夜空にはさそり座が輝きます。

『月の砂漠をさばさばと』の「さそりの井戸」より

 

          *****

 

冒頭一文でわくわくする。

ささやかな母子の物語。

夏の夜にしんみりと

お母さんが話してくれる童話。

宮沢賢治とかね。

お母さんはさすが作家らしく

多くの童話を暗記している様子。

「読み聞かせ」ではなくて

「語り」だな。

最高のぜいたくだね。

 

夏の夜の、このシーンの挿し絵は

1ページ分使っていて、ぐっと身近に感じられる。

カジユアも聞いている気分になる。

 

さそりは哀しい生き物だなぁ。

いたちにおいかけられて井戸に落ちて死ぬときに

誰の役にも立たなかったなんて言って。

いたちに食べられれば良かったなんて思って。

 

カジユアは童話から離れていって

個人的に考える。

怖いものから逃げるのは

生き物すべての本能なんだよね。

きっと、何度恐怖に遭遇しても

条件反射で逃げるのだ。

そのことはたぶん、素晴らしい。

井戸に落ちるかもしれないけど

生まれ変わったらまた逃げて

今度こそは

自由をつかみとってほしい。

星座になんてならずにね。

 

自己犠牲が美しいなんて

もう古い。

これからの時代は

みんなで棟上げ式を祝う

みたいな、新しい

共有感覚が現実になるはずだ。

 

あ、

もちろん

宮沢賢治の作品は素晴らしいですよ。

カジユアもずいぶん昔から親しんできたし。

今でも小中学校で

劇になったりしています。

 

しかし、子どもたちが好んで

彼の作品群を手に取ることはもう

ほとんどありません。

 

読んであげると

響く子には響きます。

当然ね。

 

 

 

ちなみに、『月の砂漠を…』の作者は男性です。

リアルで繊細な生活感がこんなに分かるなんて。

すごいなぁ。

食の愉しみ☆

どうも。

ほのぼの図書館の

カジユアです。

 

今日は、

珍しく

のはなし。

 

ランチにイタリアンへ。

気軽な雰囲気を求めて

ふらりとでかけました。

 

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おいしくて

お手頃価格で

満足です。

 

 

まどさんの目 輝きはじめる宇宙

こんにちは。

ほのぼの図書館の

カジユアです。

 

ほのぼの図書館とは、

カジユアの本棚のこと。

この小さな巣からいつも、

世界へと旅する。

そして戻る。

書に溺れることなく、

世界を漂う。軽やかに。

この巣は、クジラの休息地。

 

「わたしは

 小さな家でいい、

 自分の巣がある

 だけでいい。」 ココ・シャネル

         『すみっこ名言』 サンエックス監修 より

 

すごい人が案外、

地味なコト言うものですね。

グッときます。

 

すみっコぐらしのすみっこ名言

すみっコぐらしのすみっこ名言

 

 

 

人それぞれ、

世界は果てしなく広いけれど、

身近なところにも世界がある。

とるにたらない生活道具、

そこらに息づく者たち。

ケムシやアリのような

ありふれた生き物。

見上げればいいだけの

空。

 

詩人 まど・みちおさんは

それらの全ての中に

ひとつ、ひとつ、丁寧に、

入っていける。

そんな目を持つ詩人。

だからこそ、見える風景がある。

みんなが気付いているようで

気付いていないことに、

フォーカスできるのだ。

そして、ふと

あるものの目に気付く。

 

 

いちばんぼし     まど・みちお

 

いちばんぼしが でた

うちゅうの

目のようだ

 

ああ

うちゅうが

ぼくを みている

 

         『まど・みちお詩集 うちゅうの目』より

 

うちゅうの目

うちゅうの目

 

 

 

 

自分も、

光を放つ目に、

見られているんだよね。

 

この他にも

「ことり」や「どうして いつも」

などの作品を読むと

 

目は光源であって、

星でもあるんだなー、なんて、

不思議な感慨が訪れます。

 

 

 

朗読師匠からのお題 「空」

どうも。

ほのぼの図書館の

カジユアです。

 

今月に行われる

朗読茶話会。

お題は「空」…

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とのことで。

 

思い浮かんだのが

ルノルマンカードの

「雲」。

暗雲と、かすかな光。

 

「星」「月」「太陽」もあるのに

なぜか「雲」。

 

てことで、

中也の詩を思い出して

文庫本を手に取る。

 

 

 

 ある朝 僕は 空の 中に、

黒い 旗が はためくのを 見た。

 はたはた それは はためいていて ゐたが、

音は きこえぬ 高きが ゆゑに。

 

 手繰り 下ろさうと 僕は したが、

網も なければ それも 叶はず、

 旗は はたはた はためく ばかり、

空の 奥處に 舞ひ入る 如く。

 

 かかる 朝を 少年の 日も、

累々 見たりと 僕は 憶ふ。

 

         中原中也 「曇天」 より

 

この詩は、カジユア「ほのぼの図書館」所蔵の

『残響』というタイトルの文庫本の中にありました。

作家・町田康さんが中也の詩に言葉を寄せる、という

スタイルで編まれた本です。

 

その言葉は、散文でもあり、詩でもあり

叫びでもあり、つぶやきでもあり…。

つまり、賛辞ですね。

 

カジユアには、町田節は難解ですが

結構好きです。

小説なら『夫婦茶碗』『生の肯定』

ですかねー。

 

魂つかまれて

やさしさ見せられる

という感じ。

細部の細部まで過剰に感受して

死の淵にある魂が再生したりしてね。

 

話がそれた☺

 

この『曇天』に寄せた言葉も面白い。

彼は言う。

※ざっくり意訳してみる(正しい町田節は、ぜひ 『残響』講談社 で)。

 

   ******

大抵の人はこういうの、何かの象徴として考えるのだろうけど、

俺は違うんだよ。実体として見えるの。でなければ詩人ではない。

こんなもの、子どもの頃に見ちゃうとキツいわな。正直、地獄。

目をそらそうとしても、見えてしまう。それはね、実はね、

僕自身でもある。僕自身でもあるんだよ。

   ******

 

という主旨。

正しくは「頭の中にラーメン」とかいう表現

などを用いています。

なんか、強気から弱気へ

ガクンと落ちる感じ。

ウケます。

 

それにしても、

子どもの頃の詩的衝撃体験って、

あるよっていう人にはあると思う。

カジユアもある。

幸い、すごく明るかった。

朝の光だったからね。葉とか道路とか、自転車とかが脇役で。

あとは、海水面のゆらぎとか。

だいたい、そのときの雰囲気がその人の

人生の雰囲気を決めるのではないかな。

 

といっても、

この作品のような

薄暗く、

心もとない情緒も

実体として

多分に感受できる。

 

その原点というのもやはり、幼いころの

詩的体験ではないかと思うのです。

象徴程度のハナシではないのですよ。

 

さて、朗読練習しておくか。

 

別のにするか?

 

今日もうろうろ。カジカジ。

 

 

 

 

書は瞑想なり

あのまっしろな

夏の雲が爆発して

果てしも知れず遠くなった

紺青の空の遥かな高みに

秋は郷愁の

歌のように流れている

 

尾崎喜八 「秋の歌」 より

 

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どうも、カジユアです。

朝は涼しいですね。

早いうちに、庭の手入れをしました。

 

昨日、釣りから戻った後、

雑草を一気に抜いておいたのがよかった。

イイ流れだな。

そしてまた昨晩は海へ行ったんだけどね。

 

 

 

今朝は書道。

午前、午後ともに集中します。

このゆるやかな時間。

何も考えない。

リラックスできる時間。

 

カジユアは、瞑想をたまーにします。

月1程度かな。

が…、

この、やるぞ!の瞑想よりも

瞑想状態にスッと入ることができる行為は、

書道です。

 

頭ン中、シンプル&ノーマル。

心ン中、秋風ふわり。

 

水分とりつつ、一旦休憩。

 

あー、

こんなふうに、

心のままに生きればいいんだな。

子どもも同じ。

子どもは自ら考える力がある。

いろいろなことを通して

静かに何か探している。

 

掃除だー買いもンだーって、バッタバタしている

カジユアから見えないだけなんだ。

とやかく言わないほうが

いいんだよね。

 

と、今は思う。

 

ついうっかり、いつも

頭ン中、イガイガに

なっちゃうけどね。

イガイガが爆発したら

ポンコツだね。

ま、それも自分。

……。それでいきましょう。

 

そして、戻ればいいのです。

 

書は、ゆるやかになる儀式。

書の道は、美なり。

 

あの本、読みたいな。

『文字に美ありや』  伊集院 静  文藝春秋

 

書道終わったら、読もう♪