詩人・ヘッセ(ドイツ) ― 知的な自然賛美と強い信念 ―
■小説なら『デミアン』
国語の教科書に小説『車輪の下』が載っていましたね。あまり印象に残らなかった気がします。しかし、ヘッセの『デミアン』は好き。悩める若者のための青春文学と言われていますが、人生後半の転換期(あるいは重大な危機)の心にも効きます。作者本人がその時期の危機において執筆したものだからでしょう。
ヘッセ自身は、見事に危機を乗り越えています。克服のキーワードは、彼の場合「人との出会い」、「身近に接した自然」、「文学以外のアート」でした。支援者に恵まれ、自然と向き合い、絵も描きました。これらのことが影響し、作品(随筆、詩、小説)は素朴かつ知的な自然賛美があふれています。人間の理想像への徹底した追求と、歴史の波にさらわれることのない善良性が、波乱に満ちた人生をなだらかに整える役目を果たしました。
■ヘッセの人生
1877年、南ドイツ・カルフに生まれる。祖父は出版協会責任者、父は牧師。父は出版協会の仕事も手伝い、宗教関係雑誌の執筆・編集者だった。母は言語学者の娘で、詩を好む性質。しかし、ヘッセが十代初めに「詩人になりたい」と伝えると、両親ともに「稼げない」と反対。その後、神学を勧める父との確執の中で青春期を過ごす。成績優秀で神学校に入学するが七カ月後に脱走。知り合いの牧師に預けられるが自殺未遂、入院。高校入学、卒業後は書店員になるが3日でやめる。父の協会で働くが長続きせず、その後の塔時計機械工場での見習工も辞職。書店員、古書店員として働くかたわら、本格的に詩を書き始める。25歳の時に出した詩集は母に捧げるものだったが、刊行直前に母死去。結婚は3回(27歳、47歳、54歳の時)。最初の妻との間に男児3人。戦争中は著作によって厳しい批判を受けたが、戦後にノーベル賞受賞。画家や作家、音楽家などと交流して、晩年は3番目の妻と穏やかに過ごす。1962年死去。
■ヘッセの作品を読んでみよう
「夏の夜の提灯」
暗い涼しい庭に 暖かく
色とりどりの提灯が並んで漂う
葉群の中からやわらかな
謎めいた光を放っている。
ひとつはやさしくレモン色に微笑み
赤や白の提灯は供笑している
青い提灯は 梢にかかっている
月か幽霊のように光っている。
突然ひとつが炎につつまれ
燃え上って すっと消える……
姉妹たちは無言で身ぶるいし
微笑みながら死を待つ
青白い月色の ワイン色の ビロード赤の姉妹たち。
『ヘルマン・ヘッセ 庭仕事の愉しみ』V・ミヒェルス編 草思社
より
ヘッセは後半生を庭で過ごした。庭仕事は、読書や執筆による目の疲れを癒やすためだけでなく、人生の真理を学び、自らの世界を創造するためのものであった。この隠居趣味をマスコミが痛烈に揶揄したこともあったが、小説のみならず、庭から学んだ自然の真理や人生の真理を書き残したヘッセの作品は、後世に残り、多くの読者を魅了した。
ヘッセの詩は、成熟した人間の目から垣間見える世界を見せてくれる。
それは、謙虚で力強い精神に包まれている。
日本の詩とはまた、微妙~に違うと思いませんか。